待たせる身が辛い

躁鬱 首の皮一枚大学生 レズビアン

「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」

高校時代から太宰治に入れ込んでいるわけだが(このフレーズ、今まで一体どれだけの人が使ってきたのだろう)(それこそ50年位は言われ続けていそうだ)、なぜならビビっと来るからである。きっと太宰治にハマる人はみんなそうだ、彼に、彼の作品に、身体の芯が共鳴するからだろう。

 

ブログタイトルに拝借している、「待つ身がつらいかね、待たせる身がつらいかね」のエピソードが特に自分は好きだ。そして、この話を聞いた時の反応はきっとふた通りある。そこも面白くて好きだ。

 

昭和11年の12月のことである。家にいると仕事ができないと言って太宰さんは、井伏氏の知り合いである小料理屋を介して、熱海に執筆の為の宿を借りることにした。
 何日かして、太宰さんは「お金がない」と当時の妻である初代さんに連絡をする。大方、酒代に使ってしまったのであろう。そこで初代さんは、小説家仲間の檀一雄氏に「お金ができたので持っていって欲しい」と依頼したのだ。
 檀氏は、太宰さんの元へお金を持って行くのだが、結局は一緒になって酒を飲み、その日のうちにお金をすべて使ってしまう。まさにミイラ取りがミイラとなってしまったのである。だが、それでも彼らは驚くことに、その窮地を寧ろ楽しむか如く、放蕩に耽るのであった。
 そして、とうとう3日目の朝、太宰さんは「菊地寛の処に行ってくる。君、ここで待っていてくれないか」と言い残し、単身東京へと帰って行く。お金を借りに帰ったのだ。壇氏は、心細い限りであったが、仕方がない。太宰さんを信じて待つ他は無かったのである。
 しかし、太宰さんは戻ってこない。何日かして、檀氏は小料理屋の親父と二人で東京へ行ってみることにした。
 果たして、太宰さんは、井伏氏の処にいた。呑気に将棋など指しているではないか。
「ああ、檀君」思いがけない到来に、狼狽の声をあげる太宰さん。
 その姿を見て、檀氏は激怒。「何だ、君。あんまりじゃないか」と怒鳴り声を上げたのであった。
 太宰さんは、その怒号にパラパラと駒を盤上に崩してしまう。指先は細かに震え、顔からは血の気が失せてしまっている。オロオロと声も何も出ないようであった。
 その場は、井伏氏が何とか収めた。小料理屋の親父も、数々の勘定書を残し、渋々と引きあげていった。
 ようやく、場は落ち着きを取り戻した。しかし、ここで檀氏は、太宰さんから思いもがけない言葉を聞かされるのである。

「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」

この言葉は弱々しかったが、強い反撃の響きを持っていたことを今でもはっきりと覚えている。~檀一雄『小説 太宰治』より

https://note.mu/furoyama/n/n11cf68cc3afd

 

「は?w」と思うか?そちら側の反応の方が多いのかもしれない。走れメロスの作者本人はこうなのかよ、と。

 

自分などは「待たせる」側である。たいてい、そうだ。周囲の人々には何かしらの御面倒をお掛けして生きている。鬱とゼミの発表時期が重なり前日までレジュメは白紙、駆け込みで教授に「最大限の努力はしてみましたがどうにも出来ません、読めず書けずなのです、何卒お情けを、どうかお頼み申し上げます」と必死の陳情、順番の延期。期末レポートを提出せずに単位を出してもらったこともある。頭が上がらない。

友達にも頼りっきりだ。まだ病院にかかる前、一緒に受けている講義を一人欠席しまくる自分を「連絡無しに来ないとか、そういうの私苦手な方だから」と断罪した友人の声、あれをよく覚えている。そうでなくてもプリントを取ってもらったり次回までの課題を聞いたり、なんとまあ人のご厚意にすがっていることか。遊ぶ予定を電車で倒れてドタキャンする事も結構ある。

 

なぜ、普通にやれないのか。謝罪の日々。なぜ。自分は。嫌悪。時には、憎悪。

 

待つ身も辛いだろう、待たされて迷惑を被っているのだから。いやしかし、しかしだぞ、待たせる身も、辛い。確かに、はっきりと、辛い。普段から面倒をかけている師匠にこの上借金の申し出ができるか?なんと言えばいい?その脂汗の苦しさ。呑気に将棋など指してしまうのがリアルだ。焦りがある時こそ、日常的なくだらぬ事をしてしまう。頭の働かない時間稼ぎ。そして、更に、言い出せないことによって友人を待たせている。日が経つにつれ、友人は居た堪れなくなっていくことだろう。親父から向けられる目はどんなものだろう。その重圧。

待つ身は、怒ればいい。待たせる身は、謝るしかない。待たせているのだから、この上面と向かって自己弁護は出来ない。だが、この身悶えはどうすればいい。

何も感じない訳がない。問題を抱えているのは自分なのだ。罪悪感、自責、疎外感、脱落。待つ人は良い、そんな相手と居なければいい。付き合う人間は選べる。こちらはいつも、待たせてしまうのだ。己からは逃げられない。どれだけ憎くても。自他への苛烈な感情が胸の内で渦を巻く。炎。

 

そこを拾うのが太宰だ。だから大好きだ。「こちら側」なんだ。強い反撃の響きを持っていた、そうだろうとも。黙るしかない我々の、しかし、殺してはおけぬ思いだ。正論に負かされる我々の、行き場のない言葉だ。

太宰に向かって「ダメ」とか「クズ」とか、今までどれだけそんな言葉が投げられてきたのだろう?だが、自分もダメでクズな訳で、太宰は星なのだ。この種の苦しみを汲み取って文に著した人が居た、その事に救われる。救い、そう、太宰治は救いです。太宰治は今までも今もこれからも、誰かの救世主だ。陳腐か?いやいや、事実だろう。

 

「芸術家は、もともと弱い者の味方だったはずなんだ。」

太宰治『畜犬談』