待たせる身が辛い

躁鬱 首の皮一枚大学生 レズビアン

2017/11/7

三日坊主ですらない。二日ってお前。

 

twittermixiについてのツイートを読み、ああ長文が書けて人があんまりいないSNSっていいなあ、誰も僕のことを知らない場にインターネットでくらい移動したいなあ、と夢想し、いやそういえば僕ブログもう持ってたよね?とここに帰ってきた。うん、そういう使い方なんだろうな。mixiは始めません、収集がつかなくなるので。

 

僕はSNSを管理しきれていない、と感じる。

Amebaブログ、twitterの壁打ちアカウント、マストドンのメンタルインスタンス、それからここ。同じような内容を書き残す場が増えすぎて、使い分けが出来ていない。

Amebaブログは中学生だった時に友達内で流行ったのだった。その中で、未だに続けているのは僕だけだ。彼女らは皆ログインパスワードなんて忘れてしまっているだろうから、もう見られる事もないだろうと好き勝手な日記を書き散らしているが、もし僕のブログをブックマークしていたりなんかしたら、ふと思い出してアクセスしたりなんかしたら、ああ、僕はどう生きていこうね、これから。普段の生活で隠していることも書いてあるんだ。

軽率、と言われればそれまで。

 

誰も僕のことを知らない所に行きたい。そこに住みつきたい。最近そう思う事が多い。

隠し事や嘘や秘密が増えすぎてしまった。もう息苦しくて窮屈で、綻びが出てしまいそうで、僕は演者として三流もいいところだ。異性愛者のふりをして、講義に出ているふりをして、音楽の知識が深いふりをして、よい娘のふり、よい友人のふり、よい主幹のふり、よい学生のふり、流石に無茶だよな。似合わない。道化師、とも呼べない。そんな洒落たものじゃない。そんなにプロフェッショナルじゃない。

不誠実。ただの嘘つきだ。

 

「眠い」「疲れた」「お腹へった」と同じくらいの頻度と軽さで「死にたい」がぽっと心に浮かぶ。「死にたい」って、どういう意味だ。僕は、どういう意味で使ってるんだ。「もう全部やめたい」くらいだろうか。「知らない所に逃げたい」だろうか。ああ、軽い軽い。ホント、何者にもなれなくて嫌になる。死に憧れることもない。生に執着しているわけでもない。お前、なんで生きてるんだ。その大きな大きな問いにぶち当たると、そこで考えるのをやめるしかなくなる。答えなんか分かるはずないだろ、20年間今までずっと、目も開けずに生存してきただけなんだから。主体性って、なんだよ。