待たせる身が辛い

躁鬱 首の皮一枚大学生 レズビアン

2018/12/5

朝のスタバはなかなか良い。

 

ああだめそうだ、最近文章を書く能力が無くなってしまった。周りの人すべてに嘘を吐いている。僕はせめてその嘘を完遂させなくてはならないのだが、自分自身すらもその嘘に呑まれて真実を見失いそうになる。

本当のこととは、なんだ。それも、僕の心の中のことについて。

最近吐いた嘘を挙げてみようか。まず今朝の特急券を取ったという嘘。それに従って一般車で来た。そもそも今日の講義に出る必要はもうない。その事は午後一緒に遊びに行く友人にも言っていない。単位を落とすから、という理由で小旅行を断ったからな。薄々勘付いてはいたが、僕は旅行が好きではないらしい。お金も無いしな。

Aにレズビアンだと明かした。これは間違っていない。Xの話に知識をもって共感していたら当事者だと思われてしまったかもしれないが、これは故意に吐いた嘘ではない。し、そうなったとしても丸っきり嘘にはならない。僕が吐いた嘘は、僕の自認は君への初恋から始まるという事を隠した事だ。いや言えないだろ。嘘に限らず隠し事も多い。君との友情を失いたくはない、本当だ。本当のことだなこれは。その頃の彼女の胸の内も聞いてこれはいよいよ墓場に持っていくしかないと決意を固めた。というか、普通に成仏しかかっている。まあそれは良い、僕のセクシャリティーについては嘘と秘密の塊だぞ。宝物庫だぞ。セクシャリティーと、持病が二大トップだな。双極性障害だと言葉に出して告げたのは二人か。一人にはきちんと受け取られているか分からないな。しかしこれも僕は疑っている。本当にこれ躁鬱なのか?皆こんなもんじゃないのか?誰でも心が全く虚ろになってしまう日があるだろう?

 

焦らなくていいと思う、と以前恋人に言われた。御冗談を、と思った。

君がいるから焦っているんだ。僕は僕一人なら自殺なんてしないだろう。君と生きていく以上、自分で立てないといけないんだ。見苦しくないようにしたい。全然頼らないんだねと君は言うけど、だって無理な話だ。頼りにしているとも。ただ、不安の預け先ではない。縋る神様ではない。人間を、ただの人間を神様にしてはいけない。

僕のことは僕自身がなんとかしなくてはならない。だが、きっと僕は引っ張り上げてもらえる手を希望している。そんな都合の良い夢を。

 

外の人通りが増えてきた。そういえば店内にも人が増えてきている。来週からは一本二本遅らせて特急券をちゃんと買おうな。

 

そうだ、講義に出てきたよという嘘を一番吐いているかもしれない。まあよく聞かれるからだが。僕は卒業する気がないのだろうか。大学の勉強に興味が持てなくなってしまったのかもしれない。だが、いや皆そんなものだろう?熱中しているわけでもない、まあ悪くはないか位の分野を適当にこなしているんだろう?じゃあ僕はどうしたことだろうな。大学に行かなくなったとして、これからどうする?とりあえず恋人の事は置いておいて、だ。その事を考えると僕はとにかく主流に媚びる事しか考えられなくなる。世間の奴隷になる。無理矢理やるしかなくなる。が、多分彼女自身はそれを望んでいなくて、いやしかし女二人社会で生きていくためには安定した収入が必要だし君のご家族の信用を得る為にはまともな職が必要だ。まともな。僕はまともじゃないんだけどさ。じゃあ駄目じゃねえか何もかもが……。そもそもまともじゃない僕を彼女はまだ知らない訳で、それで全てが終わりになる可能性もある。そうしたらどうしよう。破茶滅茶やって死のうな。大学を辞めたとして何をする当てもない。いよいよ首を吊るしかなくなる。逸脱。僕は来年からもっと孤独になるんだろう。僕のことを忘れないでいてくれるだろうか。これはもう仕方のないことなんだよ。

孤独が怖い。今ですらそうなのに。

 

うん?というような、最近どうしてるんだろうね?というような違和感や疑問が、蔑みと同情に変わるまでのカウントダウン。

僕は精神科通いの投薬治療中メンヘラなのです。憐れまれるだろうか。僕には共有されないものが沢山あるんだろう。一線引かれるんだろうな。だからどうしたというんだ、僕はこうでしかいられないんだぞ、という、開き直りが、出来たなら。

希望がない。

この先の展開に期待が持てない。僕の人生が良くなる兆しある?無いんだけど。単純に睡眠がどうとかではなく、生命力がない。やる気がないので何をやってもだめ。何をやってもどころか、何も始められない。ので、詰みです。時間割を組んで、それでどうなる?ハナから講義に出るつもりがないだろ。講義に出てもレポートを書く気がない。どうすんの?知るか。とても就労なんて出来そうにない。朝の電車に負けるから無理だ。無理。起きられないし乗り物酔いするし無理。なんだこれもう、生きててどうするんだ?何か良いことあるか?惨めったらしくなっていくだけだ。

 

眠りながらの自然死、これに尽きる。金も欲しいが、こちらの方が今の気分だ。

啄木のことを考えていたんだがこれは太宰だった。啄木はなんだったかな。

一年ばかりの間、いや、一月でも、
一週間でも、三日でもいい、
神よ、もしあるなら、ああ、神よ
私の願いはこれだけだ、どうか、
身体をどこか少しこわしてくれ、痛くても
かまわない、どうか病気さしてくれ!
ああ! どうか……

これか。そしてこの曲が好きだ。

【初音ミク】明治四十二年四月十日【オリジナル】 - ニコニコ動画

 

芥川も言っていなかったか。なんだっけか。

誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?

ああそうか、歯車だ。

 

ビルに反射した太陽の光が眩しい。いつのまにか明るい。そろそろ大学へ向かっても良いんだが、まあフラペチーノ飲み終わってからにしようか。退廃を気取っておいて、僕はまあチェーンの喫茶店で朝から抹茶フラペチーノ飲んでる訳だ。空いた手ではまた。はあ。そんなものだろうか。

2018/11/15

たまたま1年越しだ。偶然だなあ。

この時期に調子を崩すというか、鬱が悪化するのだろうか。

 

なぜこういう日記は書けてレポートは書けないのか?

知らねえ。わからねえ。どうでもよくなってきてしまっている。

でも文学史Cは書き上げたぞ今日、2000字。あれは書く内容をもうまとめてあったし、字数が規定に達しなくても身内の先生だからワンチャンあるやろ、という投げやりがあったから出来たことだ。

同じ教授なんだからその勢いで書けたりしないのかい。

多分、気負っているから書けないんだ。きっとそうだな。

 

僕は高校生からの夢だった文学ゼミに今年やっと入れて、何年越しだろう、4年越し?くらいの念願を果たした訳だけど。やりたい事も、研究テーマもほぼ既に決まっていた。やっと環境が追いついたな、という、待ちきれないぜ、ヨッシャ行くぞ!という、ロケットスタート切って爆走していける手筈だった。教えて!知りたい!という欲と聞いて!どう?!という欲とでキラキラしていた。

の、だけども。

 

書けない、んだよなあ。今回なんて本命作家引いたのにな。そこそこ好きで読んだこともある中編で。

理想が高いというか、気合が高まっているくせに上手く組み立てられないもどかしさというか、言いたいことは沢山ある、はず?なんだが、wordに打ち込んだら解像度は爆下がりで滅茶苦茶支離滅裂に見えて、それを発表することが、僕の意見ですといってドドンと出すことが耐えられないんだ。

本当の僕はこんなもんじゃないですよ、と思い込んで実力を発揮できないでいる。

多分、駄文でも発表したほうが5億倍良い。というか、書かないと単位がもらえない。分かっている。

分かっている。

でも書けない。苦しい。なにか萌芽があるはずなのに、完璧に育て上げる事が出来ないのならお外に出したくない、という。

こんな状態を表す諺とかありそうだな。傑作を書くぞ、と言いながら今は何も書けないでいる小説家。ああ、やっぱり小説家だ。逃げられない。好きな分野だからなあ。頭の中の思考の材料がそればかりなんだ、そもそももう。

愛していたものに裏切られた。

 

帰ってきてくれないのか?

僕は文章を書くのが好きだったはずだ、論を組み立ててカッチリ言いたいことを伝える事に自信を持って、いた?っけ?

そういう文章は苦手じゃなかったか?多分、エッセイの方に強みがある。感情的な文章なら書けるよ、まあその時のテンションにも拠るけど。テーマにも拠るけど。

 

論文でもないレポートですら駄目なら、お前学問に向いてないよ。

 

これがやりたかったはずなのになあ、ずっと。文学研究がさ。好きだったし、今も好きだし。太宰。

何を間違えた?

やはり、僕にとって文学は趣味でしかないのだろうか。文学史的意義より、小説の技法より、文壇の潮流より、「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」という一節に、「けれども僕は、着飾った苺の悲しみを知っている」「純粋を追うて、窒息するよりは、私は濁っても大きくなりたいのである」この辺りにしようか。こうした彼の一文から僕の半生を思い感慨に耽るのが好きなだけか。太宰に心酔しているのはそこだろ。じゃあ一人で読んでろ。

 

どうしてこうなったんだろう。

これからどうなるんだろう。

 

こんなに心砕いてきたものに去られたら何が残るって言うんだ?疎外。これ以上の。

僕が文学部志望で近代文学オタクだって地元の友人や母校の先生は知っている。裏切るのか?裏切るというか、挫折を知られたくない。

挫折。なにもかも。

バイトを諦めてサークルを休団して学科の友人と疎遠になってゼミも途切れ途切れで、いや人の繋がり…人の縁は切ってはいけない、僕の長所にその人柄も含まれているはずだ、と思っているのだが、ううん。孤立を深めていく。

ロールモデルがいない。レズビアンとしての、だけではない。躁鬱の、休学の、もしかしたら中退の、社会人としての、ロールモデルがいない。何も分からない。

死にたい。諦めたい。

 

恋人が居る事は心の支え、と言えるか?

ささ、え。どうだろう。彼女がいるから僕は生に縛られている。

彼女がいることで、社会からはみ出すことは出来ないと自縛を深めている気もする。自分一人ならどうなってもなすがまま見守れるさ、だが道連れにしてしまうとなると話は別で、留年が決まっているだけでも苦しくて死んでしまいそうなのに、もし休学やら退学やらになったらどうする?そんな屑とは別れた方がいい、と言ってしまいそう。

心身共に健康、という皮を被って始めた事だから、それを貫きたかった。せめて、日常生活に支障はないです、と言えたらな。支障しかない。どうした?いつからだ?去年の夏とかか。何でだろうな。分からん。

彼女も強い人ではないし、というか一人の人間を人間一人が支えることは不可能なので、頼りたくないんだよ。そう考えると、ううん、支えではないのかもな。

尻叩き、が近いのか。僕を殺させない要因。

 

おいどうする、もうすぐ4時だしレポートのネタは何もない。寝る?

寝てもいいけど、ううん、まあ明日の夜にでも教授にメールしたらいいんじゃない。構想を論にまで深めることが大変困難な状況であり、またこの状態で考えたものを自分の意見として発表する事に強い抵抗を感じており、レポートの提出が出来ませんでした。うん。つきましては何…どうすればいいん…?という旨をな、送ろう。アドレス掴んでて良かったな。

 

もうメイク落として寝よう。風呂は朝でいいや。電車で寝れるだろう。

明日向かう所も文学展だぞ、マジでウケるな。それしかないというか、僕の中の大きな面積を占めているのに、それを失いつつある。僕がいなくなる。

2017/11/7

三日坊主ですらない。二日ってお前。

 

twittermixiについてのツイートを読み、ああ長文が書けて人があんまりいないSNSっていいなあ、誰も僕のことを知らない場にインターネットでくらい移動したいなあ、と夢想し、いやそういえば僕ブログもう持ってたよね?とここに帰ってきた。うん、そういう使い方なんだろうな。mixiは始めません、収集がつかなくなるので。

 

僕はSNSを管理しきれていない、と感じる。

Amebaブログ、twitterの壁打ちアカウント、マストドンのメンタルインスタンス、それからここ。同じような内容を書き残す場が増えすぎて、使い分けが出来ていない。

Amebaブログは中学生だった時に友達内で流行ったのだった。その中で、未だに続けているのは僕だけだ。彼女らは皆ログインパスワードなんて忘れてしまっているだろうから、もう見られる事もないだろうと好き勝手な日記を書き散らしているが、もし僕のブログをブックマークしていたりなんかしたら、ふと思い出してアクセスしたりなんかしたら、ああ、僕はどう生きていこうね、これから。普段の生活で隠していることも書いてあるんだ。

軽率、と言われればそれまで。

 

誰も僕のことを知らない所に行きたい。そこに住みつきたい。最近そう思う事が多い。

隠し事や嘘や秘密が増えすぎてしまった。もう息苦しくて窮屈で、綻びが出てしまいそうで、僕は演者として三流もいいところだ。異性愛者のふりをして、講義に出ているふりをして、音楽の知識が深いふりをして、よい娘のふり、よい友人のふり、よい主幹のふり、よい学生のふり、流石に無茶だよな。似合わない。道化師、とも呼べない。そんな洒落たものじゃない。そんなにプロフェッショナルじゃない。

不誠実。ただの嘘つきだ。

 

「眠い」「疲れた」「お腹へった」と同じくらいの頻度と軽さで「死にたい」がぽっと心に浮かぶ。「死にたい」って、どういう意味だ。僕は、どういう意味で使ってるんだ。「もう全部やめたい」くらいだろうか。「知らない所に逃げたい」だろうか。ああ、軽い軽い。ホント、何者にもなれなくて嫌になる。死に憧れることもない。生に執着しているわけでもない。お前、なんで生きてるんだ。その大きな大きな問いにぶち当たると、そこで考えるのをやめるしかなくなる。答えなんか分かるはずないだろ、20年間今までずっと、目も開けずに生存してきただけなんだから。主体性って、なんだよ。

2017/9/20

早速昨日書きそびれている。もうちょっと頑張れよ。

 

晴れ、夜ににわか雨。

午前中の文学の講義はなかなか面白そうだった。漱石の話。作家の漱石というか、文学を勉強し大学で教えようとした漱石の試行錯誤の話。この人も生きづらそうな人だよな、つらそうな日本の作家というと芥川や太宰ばかり取り上げられるが。大文豪ともなると、苦難のエピソードが好んで後世に残されてしまうのだろうか。

 

サークルの発表。ガチガチに原稿を固めていったおかげで話す分にはスムーズにいった、はずだ。多弁だからなあ。準備していなかった事も話したくなってしまう所あるよね僕。質疑応答、結構発言してしまった。ユーモアを持って柔らかい語り口で、というモットーには則って話せたから良しとしよう。あと裏で動いてくれた後輩を大きな場で褒めるという目標も達成した。偉いぞ僕。

その後後輩と話して、1年生の雰囲気を少し知る。随分とやる気になっているようだが、それに振り落とされかかっている子がいるのは気がかりだ。今年も退部者が出るのか。まあ出るよな…。合宿で雰囲気がギッとキツくなったのが遠因だろうし、少しばかり責任も感じる。詰めたのは僕じゃないし、僕はそのフォローに奔走した側なんだがな。全く、先輩の考えていることはわからん。あんなに潔癖で、他人を変えてやろうと真正面からかかるような人は、生きづらそうだ。あの人自身の卒業後が心配だ。

 

帰宅して、夕飯を少し食べて、服も着替えずベッドに寝転んで、まあこの時点でこのまま寝ても良いやと思っていたわけだな。寝た。4時に起きた。曖昧なLINEを放っておいてしまったのだが、あれは大丈夫だったのか。相手を待たせていなければいいが。

塩沢兼人氏の歌を聞きながらソシャゲをぶん回すという、ああレトロ趣味のオタクなのねと言われそうな時を過ごし、また寝た。塩沢さんが好きだ。彼の声にもっと触れたい。

2017/9/19

おいこの三日坊主野郎、またブログを始めるつもりなのか。

一体何度目だ、中学生の頃からおまえは何度ブログを始めて何度更新を途絶えさせてきたんだ。

はじめはハンゲーム、次はフォレスト、それからameba……

今度こそは本当です、信じてください。だなんて書くだけ容量の無駄である。そういう自分の飽き性はよく分かっている。

 

飽きるまで続けます。

 

 

 

晴れ。9月の後半に入ったのだから秋っぽい服が着たいと思いながらも暑いので半袖。一枚羽織ったからいいんだ。

大学の前の坂を登ると汗ばむ。息も切れる。脚が重くなる。本当に体力が無いんだな。

 

夏休みが終わり今週から講義が始まった。春の成績はゴミクソだった。理由は分かっている、初夏に精神のバランスを崩して出られなくなった講義がいくつかあったためだ。鬱が来るともうだめだ。なすすべも無い。それは仕方ないと諦めるにしても、その後がまずい。一度休むと、その講義にもう出席できなくなる。行くのが、恐ろしくなってしまう。気の弱さか、なんなのだ。単純に不真面目なのかもしれない。

 

僕はレポートが苦手だ、テストの方が良い。事前準備が本当に出来ないんだ。コツコツ準備して資料を集め、論理的に長い文章を書くのが苦手だった。そんな事に気が付いたのも今回だ。自分は文章が書けるほうの人間だと自惚れていた。僕が落としたいくつかの単位は全て「欠席過多」か「試験欠席」である。

 

中学時代は自惚れ、高校時代は卑屈、と来て、大学時代はどうなるのだろうか。自惚れからの挫折。滑り止めの大学に入学したのだから、高校時代の模試ではA判定しか取っていない大学に入学したのだから、自分は出来る方だと思っていたのだった。

僕は不真面目で愚かで刹那的に日々を過ごしている。この自覚。

 

何だか同級生より取得単位数が少ないらしい、現時点で既に。留年なんて縁の無い言葉だと僕は思っていたのだが。考えるだに恐ろしい、そんなことになったら僕は自死を選びかねない。図太く生きてやろうと去年考え直したはずだったのに。

 

明日はサークルの反省会で話をしなければならない。心配だ。結構きちんと働いたと自分では思っているのだが、自分のミスに気づくことが出来ないのが僕のヤバイところでもある。それは分かっているんだ。愛想で許されたい。許されたい、許してくれ。